オンチップテラヘルツポンププローブ分光系の開発と超伝導体への応用
――超高速電流により量子物質制御を実現する新たな手法――
  1. 発表者
    島野 亮
    (東京大学低温科学研究センター・大学院理学系研究科物理学専攻 教授)
    関口 文哉
    (東京大学低温科学研究センター 特任助教)
    吉川 尚孝
    (東京大学 大学院理学系研究科 物理学専攻 助教)
    吉岡 大地
    (東京大学 大学院理学系研究科 物理学専攻 修士課程(研究当時))

  2. 発表のポイント
    • チップ上の微小な導波路回路上で1兆分の1秒の超高速時間領域で物質の電磁気応答現象を調べることが可能な、オンチップテラヘルツポンププローブ分光の手法を開発した。
    • この手法を超伝導体に応用し、ピコ秒電流パルスが引き起こす超伝導-常伝導転移の超高速ダイナミクスを観測することに成功した。
    • 今後、本手法をさまざまな量子物質に適用することで、テラヘルツ周波数帯での超高速非線形エレクトロニクスの研究の発展が期待される。

  3. 発表概要
    東京大学低温科学研究センターの島野亮教授(兼:同大学大学院理学系研究科物理学専攻 教授)、関口文哉特任助教、同大学大学院理学系研究科物理学専攻の吉川尚孝助教、吉岡大地大学院生(研究当時)らの研究グループは、物質が電流あるいは電場に対して示す超高速かつ非線形な応答をチップ導波路上で観測可能なオンチップ型のテラヘルツポンププローブ分光の手法を開発しました。研究グループは、同手法を超伝導体に応用し、電流パルスを超伝導体に注入した際に生じる状態の変化をピコ秒(1兆分の1秒)の超高速領域で観測することに成功しました。今回の結果は、超伝導体を用いた超高速のエレクトロニクス応用に向けて有益な知見を与えることが期待されます。また開発した計測手法は、今後さまざまな量子物質注1)に適用することが可能な技術として注目されます。 本研究成果は、2025年9月9日に、米国化学会の国際学術誌「Nano Letters」にオンライン掲載されました。


    オンチップテラヘルツポンププローブ分光法のイメージ


  4. 発表内容

    図1:今回開発したオンチップテラヘルツポンププローブ分光法の模式図。

    図2:(a)ピコ秒電流パルス注入によって、超伝導状態が高速に抑制され、その後回復していくダイナミクス。横軸がポンププローブ遅延時間、縦軸は超伝導状態を反映するプローブ電場変化量で、1が超伝導状態、0が完全に超伝導が破壊された状態に対応。(b,c)遅延時間12 psでの、さまざまな注入電流密度における(b)テラヘルツプローブパルスの時間波形と(c)虚部アドミッタンススペクトル。低周波側に向かって負に増大する成分が超伝導の超流動密度を反映する。ピコ秒電流パルスを用いた場合、直流での臨界電流(Jc)の10倍程度のピーク電流密度まで超伝導状態が壊れずに維持されていることを示している。
    <研究の背景と経緯>
     固体物質においては、格子振動(フォノン)や分子間振動、磁気振動の素励起(マグノン)、超伝導ギャップといった、物質の性質を特長づける励起(素励起)やエネルギーギャップの多くがテラヘルツ波注2)の周波数帯に存在しています。これら素励起の観測を通して物質の基礎特性を調べる手法としてテラヘルツ分光注3)という計測手法が現在広く用いられています。一方、テラヘルツ波は対応する波長がサブミリメータ(1 THzで0.33 mm)と長く、微細な試料やデバイス構造を調べるのは困難でした。この波長の制限(回折限界)による問題を回避する手段の一つとして、近年、オンチップ型のテラヘルツ分光が注目を集めています。これは、半導体や絶縁体基板上に形成した金属導波路上にテラヘルツ波を閉じ込めることで、導波路上に配置した微細な試料の応答を時間領域で観測する分光手法です。オンチップテラヘルツ分光素子はピコ秒の超高速の電流パルスの発生・検出器と捉えることもでき、テラヘルツ周波数の帯域を持つ超高速エレクトロニクスへの応用の観点からも高い関心を集めています。
    <研究の内容・成果>
     研究グループは、超高速の電流あるいは電圧パルスによって物質の状態を変化させ、そのダイナミクスを超高速の時間領域で測定するための手法として、オンチップテラヘルツ分光を発展させたポンププローブ分光系注4)を開発しました(図1)。具体的には、テラヘルツ波の導波路上に、独立に強度を制御することが可能な2発のピコ秒パルスを発生させ、それぞれをポンプパルス、プローブパルスとして用いました。さらにこの導波路上に超伝導ニオブ細線を作製し、極低温下で実験を行うことで、強いピコ秒電流パルスの注入によりニオブの超伝導状態が変化する様子を、プローブ電流パルスの反射率から測定しました。この手法によって、超高速の時間領域での超伝導の非平衡ダイナミクスを観測することができます。超伝導体は電気抵抗がゼロであるためジュール発熱を生じない超伝導電流が流れますが、その電流量には上限が存在します。この上限値を与える電流は臨界電流と呼ばれます。臨界電流は超伝導体の応用にとって重要な物理量です。例えば、臨界電流を超える電流が流れたときに、超伝導状態がどのように破壊され、それがどこまで高速に起こるか?ということは、超伝導体を高速のエレクトロニクスに応用するうえで重要な問題ですが、過去の研究では実験に用いられた装置の動作帯域の限界によって、高々ナノ秒(10-9秒)程度の時間領域の観測に制限されていました。今回、研究グループは、開発したオンチップテラヘルツポンププローブ分光を用いて、この臨界電流による超伝導から常伝導への変化がピコ秒という超高速の時間領域で生じることを初めて実験的に明らかにしました(図2a)。ここで興味深いことに、超伝導状態の抑制に必要な電流密度は、直流の場合の臨界電流密度の10倍程度以上の大きな値をとること、即ち、ピコ秒という超高速の電流パルスに対しては、直流の場合と比べて一桁以上高い電流密度でも超伝導は壊れないということが明らかになりました(図2b,c)。この結果は、相転移現象のダイナミクスを現象論的に記述する時間依存ギンツブルグーランダウ方程式によって定性的に説明できることも明らかになりました。
    <波及効果、今後の展開>
     今回の実験結果は、超伝導体を超高速のエレクトロニクス素子へと応用する際の動作特性を理解するうえで基礎的な知見を与えると考えられます。開発したオンチップテラヘルツポンププローブ分光は、さまざまな量子物質にも適応可能な技術であり、電流・電圧パルスによる量子物質の超高速制御という新しい実験プラットフォームに発展することが期待されます。

     本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」研究領域(研究総括:上田正仁)における研究課題「トポロジカル非線形光学の新展開」課題番号:JPMJCR19T3 (研究代表者:島野亮)、および科学研究費・学術変革領域研究(A) 「相関設計で挑む量子創発」研究領域(領域代表:有田 亮太郎)における研究課題「非平衡・非線形が導く創発物性」課題番号:JP25H01251(研究代表者:和達大樹)等の助成を受けて行われました。

  5. 発表雑誌
    雑誌名
    「Nano Letters」(オンライン:9月9日)


    論文タイトル
    On-Chip Terahertz Pump-Probe Spectroscopy Revealing Ultrafast Current-Induced Breakdown Dynamics in a Superconducting Nb Microstrip (オンチップテラヘルツ分光による超伝導Nb細線における電流誘起超伝導破壊の超高速ダイナミクスの観測)


    著者
    Daichi Yoshioka, Fumiya Sekiguchi※, Naotaka Yoshikawa, and Ryo Shimano※


    DOI番号
    10.1021/acs.nanolett.5c02987


    アブストラクトURL
    https://doi.org/10.1021/acs.nanolett.5c02987


  6. 用語解説
    注1)量子物質
     量子力学的な性質が顕に発現する物質群の総称。量子計測・センシング、量子通信、量子計算等の量子技術の基盤となることが期待される。超伝導体は巨視的なサイズで量子力学効果が生じる量子物質の代表例。本文へ


    注2)テラヘルツ波
     電波と光波の中間領域、周波数にして0.1〜10 THz程度にある電磁波。近年の超短パルスレーザー技術の進歩とともに、テラヘルツ波の発生・検出技術が大きく進展した。テラヘルツ周波数は、5G通信技術の先にあるBeyond 5G/6G情報通信の実現に向けて注目されている周波数領域でもある。本文へ


    注3)テラヘルツ分光
     テラヘルツ波パルスを試料に照射し、その透過波や反射波の時間波形を直接測定することで、テラヘルツ周波数領域における試料の電気伝導特性、光学特性を計測、解析する手法。テラヘルツ波パルスの位相と振幅を同時に取得するため、フーリエ解析によって例えば試料の複素誘電率スペクトルを簡便に抽出することができる。本文へ


    注4)ポンププローブ分光
     2つのパルスを用いて、物質中に起こる非平衡現象を時間分解して測定する分光手法。ポンプパルスによって試料を励起し、その後時間遅延をつけてプローブパルスを入射する。プローブパルスの波形変化から、ポンプ(励起)による試料の特性変化を測定し、さらに遅延時間を掃引することで励起状態の時間発展を観測できる。本文へ


  7. 問い合わせ先
    <研究に関すること>
    東京大学 低温科学研究センター研究開発部門/大学院理学系研究科 物理学専攻
    教授 島野 亮(しまの りょう) 
    TEL:03-5841-4181
    E-mail:shimano_at_phys.s.u-tokyo.ac.jp


    <報道に関すること>
    東京大学低温科学研究センター 事務室広報担当
    TEL:03-5841-2852
    E-mail:jimu.crc_at_gs.mail.u-tokyo.ac.jp


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